
皆さん初めまして!東京都で美容師をしているmune3と申します。
美容師を始めて早いもので14年になりました。現在は店長という役職を頂いて、毎日せこせこ働いています。
ちょっとここで少し僕の自己紹介もしますと、
長野県の田舎出身の僕にとって
山、自然は小さい頃から身近にあるもので、僕が成長して大きくなる過程でずっと僕の背景の一部として溶け込んでくれていました。
小、中学校でも周りの友達が休みの日に他の家ではデイズニーランド行ってきた〜だの、グアム旅行した〜東京の親戚の家に遊び行ってきた〜とか、周りで華やかなワードを喋ってる友人を「へーーー、いいな」といいつつどこか冷めた感じで見てる小学生でした。
今でもグアムとか行ったことないですし、大阪もこの年でまだ行ったことない
当時のゲームもたくさんやってましたが、自然に囲まれて育った私は友人たちと山で遊んだり畑でキャンプしたり川で遊んだり親の畑仕事手伝ったり山行ったりしている幼少時代を送っていました。
自然の中にいることが好きな少年でした。
僕の実家は父親は兼業農家で、祖父が生前の頃から山林を所有していた家庭だったのです。
祖父は戦争経験者で、仏領インドシナに行っていたと聞きました。
その頃の話も大人になった今でこそたくさん聴いておけばよかった、、、と思いますが、それはまた別の機会に。
戦争から帰ってきて、東京の立川で非常勤講師を務めた後、実家で農業を始めたようです。
父親は教員をやりながら農業をこなし、私たち兄弟を育ててくれました。
母は元教員という教師夫婦の間に生まれた私は、何の間違いか美容師という職業に憧れてしまい、親に無理言って専門学校まで出してもらい美容師になりました。
そんなこんなで美容師を続けてきた結果今に至ります。
っで、
タイトルにある薪と山と美容。について今日は書きます。

これは実家が所有する山です。父親の名義になっていると思います。
昨今のアウトドアブームに乗っかって、山でも買ったんかいな?ではないですw
生前の祖父が購入したものです。
広さはそこそこあります。いくつか飛び地で所有しています。
この山林ですが、地元の地区では少し特別な存在で、天然記念物「ギフチョウ」が生息する地区として一般公開されています。もともとそんなつもりなかったようですが、生育環境が適しており地元昆虫友の会の再三の依頼を受け
「孫の代まで続く財産になるのなら・・・」ということでOKしたようです。
小さい頃生前の祖父の手伝いで何度も山林の手入れを兼ねて木の伐採にきてました。その頃は春になるとギフチョウが舞い野草がなり花が咲くそんな素敵な山でした。「ギフチョウを見る会」も開催されたり、地域の小学生が植林体験をしていたりなど地域に人々と自然が触れ合う場になっていました。
そうして月日が経ち祖父も亡くなり、私自身恥ずかしながら30代、店長という役職になるまで生活が安定せずその日暮らしの身で
実家や山林のことは後回し、自分1人が生きていくだけで必死だったのです。
その間にも山林のある植物たちは成長を続け、気になってみに行ってみたらジャングルのようになってました。ギフチョウについても調べましたが、ここ数年は1匹も確認されていない状態、、、
祖父が地域のため私たちの為に山林を一般公開し遺してくれたように、私も1人の大人として後世に残していかなくては、、、と思うようになりました。
そこで地元の友人とNPO法人「さとふるPOWER」を立ち上げ地域に根ざした恒久的な団体を育て、地域の宝物であるギフチョウと自然を守っていく事を決めました。
山林のメンテナンスをしながらギフチョウが育つ環境を整え、地域の方々同士が互いの「つながり」を持てるような活動をしていきたいと思っています。
山林のメンテナンスには間伐が必須なため、材木資源が必然的に発生します。
その材木を薪として販売してみよう!とも思っています。
美容師という仕事の傍ら、樵のような仕事もやり、
大都会東京の無機質なコンクリートと長野県の暖かな大自然の間を右往左往しながら人生を送っていけたらと今は思っています。
自分自身の備忘録的な側面もありますが、自然やアウトドアに興味がある、
地域おこしやりたい!と思っている方の参考になってそういうアクションを起こす方の力に少しでもなれたら幸いです。